困っている人を助けないのは普通。
無視が普通。助けることは特別なこと。
朝の満員電車。
特別急行。
いつもとは逆側のドアの横、私はそこに立っていた。立っていたはずだった。
気がつけばものすごく痛いお尻と、大量の冷や汗をかきながら私は見覚えのない駅のホームに倒れていた。
覚えているのは、やたらと近くを次々に流れる家の塀。そして迷惑そうにこちらを見上げるおっちゃんの顔。
おっちゃんは椅子の端っこ、扉に近い位置に座っていた。自分が何をしたのか覚えていない。おそらく、ふらついて、もたれ掛かったのだと思う。困惑と迷惑を合わせたような顔をまだ覚えている。怒られはしなかった。
声を出すことができず、謝れなかった。
すみません…
冷たい汗が服の下で流れているのが気持ち悪い。そして、とにかくお尻が痛い。
痛いのは左のお尻。
右には携帯を入れていたのだけれど、何ともなかった。右のお尻も携帯も無事。
守った私、グッジョブ!
多くの人が降りる駅のホーム。ドアのすぐ前で倒れる私はとても邪魔になったことだと考えると申し訳ない気持ちになる。
声をかけてくれたのは駅員さん。
救急車を断ったことだけは覚えている。
ありがとうございました。
人が大勢いて、倒れる人を横目に歩く…。
私が電車に乗っていて目の前で人が倒れていたら…きっと何もしない。
他の誰かが助けるだろう、駅員さんがいるだろうと考える。大丈夫かなーと横目で心配しつつ、通り過ぎる。改札を出る頃には忘れている。それが普通だと思う。
目撃者が私だけだったら声をかけて救急車を呼ぶだろうけど、大勢の人がいたら我関せず。朝の急いでいるときに、他の人を助けている暇はない。
でも、当事者だった私は助けて欲しかった。
声をかけてもらえるだけで気分はだいぶ違っていたと思う。目の前が真っ白でも少しは安心できたと思う。人に心配してもらえることは幸せなこと。
私が倒れているときに声をかけなかった人を責める気持ちも、恨む気持ちも全くありません。寂しさも感じません。普通のことだし私も同じようにするでしょうから。
ただ、これをきっかけに私は変わりたいなと思うようになったという話です。
もし、倒れている人に気が付いたら声をかけてあげようと思う。それで会社に遅れて、上司に怒られても胸を張れる。自分で自分を誇りに思える。
うん。
辛さをわかったからこそ行動したい。
何も力になれずとも、声をかけて行動に移そうと誓いました。
駅員さんに連れられ、ベンチに座ること40分。なんとか気分も回復し、お茶を買いました。特別急行には乗らず各駅停車で出勤です。
遅刻。上司に事情を話し、謝りました。私の顔が真っ青だったようで怒られませんでした。さっき確認したら左のお尻も真っ青でした。
ちょー痛い。
もし、困っている人やしんどそうな人がいたら声をかけてみませんか?
私もやってみます☆
もしそれが勘違いで、声をかけたものの、逆に不審者扱いされたとしてもその行いに、自分は胸を張ることができるのではないでしょうか?
できなくても仕方ありません。それが普通。
でも、行動に移せる特別な人になりたいと思いました。